アニメ・ゲーム 最速情報 ”ドンドン”

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    ファミコン直撃世代が最も『ゲームの発展』という変化を見てきている!←この記事が不評ww


    画像はイメージ

    ゲーム機の発展は、まさに日進月歩である。1983年に任天堂からファミリーコンピュータ、いわゆるファミコンが発売されて一気に進化のスピードが早まった感がある。

    ゲームハードの開発競争は今も続いているし、こうした切磋琢磨があって、ゲームというカテゴリは今日に至るまで発展を続けている。今日は、そのゲームの進化についての話をしていきたい。(文:松本ミゾレ)

    「初代マリオ発売年に生まれる。2Dから3Dへの進化を体験」

    先日、5ちゃんねるに「1985年生まれとかいうゲームの進化を最も体験してきた選ばれし世代」というスレッドが立っていた。スレ主は1985年生まれのようで、なぜ自分たちがそういう世代となるのか、その理由を書き込んでいる。

    「初代マリオ発売年に生まれる。ドラクエFFを全盛期に遊ぶ。初代ポケモン世代。2Dから3Dへの進化を体験。プレステの誕生から全盛期に直面する」

    と、こんな具合。『スーパーマリオブラザーズ』は1985年9月発売なので、僕などは「リアルタイムの衝撃知らないじゃん」って気になっちゃうけど、生まれ年が同じことに意義があるということなんだろう。

    しかし、そのほかの主張についてはおおむね賛同できるところかな。ちなみに僕は1984年生まれなので、スレ主とはほぼ同世代だ。やっぱり『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズへの思い入れは、ファミコン、スーファミ、プレステとハードを跨いで遊んだこともあって一際強い。

    2Dも良かったが、ポリゴンで表現された3Dなんて最初に見た時は衝撃をおぼえたし。ポケモンに関しては、個人的には「今更ドット絵かぁ」と携帯型ハードを侮っていた嫌な子供だったのもあって、全然ハマらなかったけど、関連グッズは当時山ほど発売されていた。

    ポケモンシールがおまけについたパンか何かをよくばあちゃんが買ってきて、ポッポのシールばかりダブっててタンスに貼りまくってた記憶もある。ただ、初代ファミコンの大活躍していた時期はまだゲームで遊ぶには子ども過ぎたのが1985年生まれだろうから、そういう意味ではゲームの進化の最初期を知らない世代だと感じる。

    僕としては、最低限1980年生まれぐらいのほうが、もっとスレ主が提示した進化をリアルタイムで目撃し、衝撃をおぼえたんじゃないかと予想するところだ。

    「ファミコン前を知らないとファミコンの進化を体験できない」という声も

    もっとも、5ちゃんねるには、もっと上の世代の暇なおっさんたちも多く書き込みをしている。スレッドにはスレ主に対しての反論も多い。ちょっと引用していこう。

    「そりゃファミコンあるにはあるけど(スレ主の年齢では)進化を最も体験出来ないだろ」

    「ファミコン前を知らないとファミコンの進化を体験できないだろうに」

    「進化を最も経験してきた選ばれし世代って60歳くらいから上じゃないのか? 

    インベーダーブームからのアーケード、ゲームウォッチ、ファミコンなどの各種家庭用ゲーム機の登場。平行して8bit~16bitPC、携帯ゲーム機の登場とポケモン、PS/SS登場……って感じで」

    「75年産まれだけどまさにゲームの進化と共にしてきた感あるな。喫茶店のインベーダーはちょっと難し過ぎたけど」

    このように、ファミコン以前のゲーム事情を今も記憶している人たちの書き込みって結構多い。やっぱり5ちゃんねるっておっさんの巣窟だ。

    僕も古い喫茶店でインベーダーゲームの筐体は見たことがあるが、遊んだことはなかった。

    正式名称『スペースインベーダー』は1978年8月に稼働スタートしたというから、これも結構昔のことのように思える。今思えば、一度ぐらい遊んでみれば良かったなぁ。

    初代ファミコン以前のゲーム事情を知らないのが、1985年生まれの世代。それ以前にもインベーダーゲームなどのアーケード用の筐体のヒット作やブームもあったし、古典的だが面白いテーブルトークRPGも存在していた。

    でも1980年代中盤生まれって、初代ファミコン以降の家庭用ハードに限定した場合は、割と初期の頃からゲームの進化をある程度目撃することの出来た貴重な体験者という位置づけにはなるはず。

    やっぱり僕なんかも、『ファイナルファンタジーVII』での、マップの奥にクラウドを移動させるとポリゴンが小さくなり、手前に移動させると大きくなるという衝撃は、今も忘れられない。あの衝撃をおぼえることが出来たのは、ファミコン、スーファミでは2Dでの表現が当たり前だったからに他ならないわけだし。

    もっとも、現状に至るまでのゲームの進化だって、俯瞰で見れば通過点にしか過ぎないんだろうなぁ。VR技術を応用したゲームなんて伸びしろも凄いだろうし。

    それこそ、今年生まれた子供が、30年以上先の未来で、匿名掲示板に「2020年生まれとかいうゲームの進化を最も体験してきた選ばれし世代」というスレッドを立てていても全然不思議ではない。

    「1985年生まれが、最もゲームの進化を体感できた世代」という説 言われてみれば確かにそうかも


    (出典 news.nicovideo.jp)

    ファミリーコンピュータ(Family Computer)は、任天堂より1983年7月15日に発売された家庭用ゲーム機。日本国内での略称・略記はファミコン(Famicom)、FC。当時の発売価格は14,800円。 携帯型ゲーム機のゲーム&ウオッチを国内外で発売し40億円の利益を出して事業を成功させた任
    117キロバイト (15,351 語) - 2022年4月28日 (木) 12:24


    (筆者コメント)
    私はファミコンより少し後の世代ですが、あのゲームは遊び尽くしましたね。確かにファミコン以降、ゲーム関連の企業同士の競い合いが激しくなりドンドンゲームのクオリティが高まりました。現在に至るまでグラフィックも機能性もかなり発展しています。PS5なんてほぼ実写ですしね。

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    スマホアプリ『太鼓の達人プラス』に阿部寛?シュール過ぎてネットで話題に!「阿部寛だドン!」



     スマートフォン用アプリ「太鼓の達人プラス」内で、阿部寛さんのホームページを開いた光景がシュール過ぎて人気です。ブラウザあるところに阿部寛のホームページあり。

    【動画】太鼓の達人で阿部寛のホームページを開くところ

     この画像を公開したのは、いちさん(@Ichitaiko2000)。太鼓の達人のリザルト画面の中央に、阿部寛さんのホームページが鎮座しています。クソコラ感がすごい。

     いちさんは、太鼓の達人プラス内で阿部寛さんのホームページを開くまでの手順を動画で公開。リザルト画面のTwitter連携画面からリンクをどんどんたどってGoogleを開き、検索することで開くことに成功しています。

     なお、Twitterと連携するための内部ブラウザが立ち上がるアプリであれば、同じようなことができることは多いもよう。ただし、アプリの想定外の操作となりますので、まねする場合は自己責任で行ってください。

    画像提供:いちさん(@Ichitaiko2000)

    !?


    (出典 news.nicovideo.jp)

    阿部 (あべ ひろし、1964年〈昭和39年〉6月22日 - )は、日本の俳優。茂田オフィス所属。 神奈川県横浜市神奈川区出生。3人兄弟の末っ子として生まれる。横浜市立三ツ沢小学校、横浜市立松本中学校、神奈川県立白山高等学校、一浪を経て中央大学理工学部電気工学科卒業。
    72キロバイト (9,525 語) - 2022年4月28日 (木) 08:25


    (筆者コメント)
    これは面白い!実践したいちさん、ユーモアがあって面白い方ですね。阿部寛というチョイスが良いですね。阿部寛ファンなんですかね?
    『阿部寛ローマ人や元暴走族の弁護士、何を演じても素晴らしいこの方がゲームアプリのブラウザからひょっこり出て来たら誰だって笑いますよねww
    「阿部寛だドン!」太鼓の達人の声を全部『阿部寛』にしてほしいww
    これを機に、そろそろ太鼓の達人も新しいことにチャレンジする時なんじゃないですか?
    でも叩いてる時に阿部寛の声で応援されても笑って集中できないか・・・ww

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    アニメーション映画監督の庵野秀明さん「紫綬褒章」を受章←芸術文化分野における優れた業績を挙げた人に授与される


     カラーは28日、アニメーション・映画監督の庵野秀明さんが令和4年春の褒章で「紫綬褒章」を受章したと発表しました。紫綬褒章は、芸術文化分野における優れた業績を挙げた人に授与される褒章です。

    【画像】開催中の庵野秀明展

     庵野さんは「文化庁の方から御連絡を頂くまで勲章と褒章の区別も曖昧で、勲章と言えば1966年の『ロボタンの歌』と『ロボタンマーチ』が真っ先に浮かんでしまう、如何しようもないオタクな自分が、この様な名誉をいただいて良いものか戸惑いましたが、他界した両親と祖母が喜ぶかと思い、ありがたくお受けすることにしました」と心境をコメント。

     「これからもアニメや特撮文化に御恩返し出来る様、面白いアニメや特撮映像作りに携わり、アーカイブ事業を推し進めていこうと思います」と決意を述べました。

     今回の春の褒章では、個人で688人、20の団体が受章しています。

    庵野秀明さんコメント全文


    (出典 news.nicovideo.jp)

    庵野 秀明(あんの ひであき、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメーター、映画監督、実業家。カラー代表取締役社長。株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大
    75キロバイト (8,948 語) - 2022年4月28日 (木) 08:35


    (筆者コメント)
    庵野秀明さん受賞おめでとうございます。
    これからも良い作品を作り続けて下さい。
    応援しています。

    <このニュースへのネットの反応>

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